裁判の経過

私は今、大阪・柏原市のまちづくり戦略会議のまとめ役として、週3〜4日、2時間近く電車を乗り継いで同市役所に通っています。
通勤途中などで出会う方々の多くは、私がまだ裁判で闘っていることをご存じありません。事件から3年以上も経っているので、無理もないのかも知れませんが。
簡単に裁判の経過をたどります。
私は、平成19年8月20日に談合容疑で起訴されました。しかし私は、談合に関与しておらず、検察側が証拠として提出した調書についても、密室の中で脅され事実でないのに無理やりサインさせられたものであり、裁判で一貫して無実を主張してきました。
1年余りの公判前整理手続きを経て、平成20年10月21日に公判が始まり、20回に及ぶ審理の後、平成21年2月4日に結審しました。
取り調べの間中、悪魔の形相でわめき散らし、認めないと周りの者を逮捕すると徹底的に私を追い詰めた若い検事は、公判では、「机を叩いたり、蹴ったり、怒鳴ったりしたことはない」などとしらばっくれ、取り調べのメモも「捨てた」と悪びれる様子もなく答えていたのには驚きました。
検事が、裁判長に宣誓し、こんなデタラメな証言をするとは。こんなことが許されていいはずがない。
小堀さんも、過酷な取り調べで死ぬほどの目に遭われたことを述べておられますが、大阪地検特捜部の取り調べはみんな同様の体質でやっているので、村木さんの冤罪、前田検事らの逮捕劇は、起こるべくして起こったといえます。
平成21年4月28日の一審判決は、懲役1年6月、執行猶予3年。
「私の訴えが聞き入れられず残念です」と答え、追いすがる報道陣を振り切って帰りましたが、悔しくて涙が止まりませんでした。
直ちに控訴。1年後の今年6月15日から高裁での控訴審が始まり、9月28日の最終弁論で結審、来月18日に判決があります。