ニュースソースの秘匿

接待を受けてもいないのに「頻繁に接待」などとデタラメな記事を掲載した日経新聞名誉毀損で訴え勝訴しましたが、その裁判の中で日経側は、ニュースソースである検事とのやり取りを書いた文書を裁判所に提出していました。
15日の朝日新聞は、そのことについて「日経新聞、実名示す書面を証拠提出」の見出しで、ニュースソースを明かすのは問題だ、とする記事を掲載しました。
これは、通常マスコミ取材では、発表記事など一部を除いてはニュースソースを明らかにしないのがルールだからです。
ところが日経新聞は、当時、裏付け取材を怠って事実でない記事を書いておきながら、責任を追及されたら裁判で検事の実名をあげてやり取り(極めてあいまいで禅問答のような内容ですが)を明かしました。
そして、それを免罪符として自己弁護する日経の行為に対し、朝日新聞が痛烈に批判。毎日新聞東京新聞もこれまでに同趣旨の記事を掲載しています。
私がこの裁判を起こした目的の一つには、検察のリークを明らかにしたいという思いがありました。
というのも、一審で無罪が確定した小堀副市長が、5年前の拘留中、「談合を認めた」と一斉に虚偽の報道がなされたのですが、これは明らかに検察のリークでした。(おかしいと感じて書かなかった社は後で検事にニラまれたとか)
マスコミに書かせて世論を誘導するのは検察の常套手段であり、そうしたことの真実を知りたかったのです。
今回の誤報も、検事がミスリードしなければ、「頻繁に接待受ける」「ほぼ毎月の時期も」などどとメチャクチャな記事にはならなかったはずです。
問題とすべきは、検察側が事実と違う内容を流し、それに基づいた報道が流されても誰も責任を取らないということです。
日経新聞が裁判に提出した書面と記者の証言により、その経過の一端を垣間見ることができました。(実際は、副検事らがもっと断定的な表現で記者を煽ったとも伝え聞いています)
ニュースソースの秘匿については、内部告発者など弱い立場の人に対しては、不利益を被ることがないよう当然の責務だと思います。しかし今回は、ふだんから取材に応じる立場の幹部であり、このような権力側のミスリードについては区別して考えても良いのではないかと私は思います。
裁判を通して、事実でないことをどのように流したか、誤報がどうして起きたのか、などの状況が不十分ながらも明るみに出たのですから、少なくとも訴えた意義はあったと思います。
こうしたことを重ねることによって、検察によるマスコミへの露骨なリークがなくなることを期待しています。